鎌倉駅西口から徒歩4分の「鎌倉アーバンクリニック」は、2006年に10年開業した小児科と内科の診療所です。白壁の外観や吹き抜けの天井、アロハシャツのスタッフは、海辺のプチホテルを思わせます。院長の高橋究医師は、物腰柔らかに自らを「昭和の医者」と語りますが、実は医療界において時代の最先端といえる経歴をもっています。

高橋究 | Kiwamu TAKAHASHI
小児科医師。鎌倉アーバンクリニック院長。慈恵医大卒業後、慈恵医大小児科で研修開始、小児腎臓病を専攻。小児慢性腎疾患の治療にあたる。1988年より鎌倉市の佐藤病院にて小児科と人工透析治療に従事し副院長として17年間勤務。2006年より現職。医療データのコンピュータ解析を研究、1992年からは電子カルテの開発普及にも携わる。
鎌倉駅西口から4分の小児科・内科クリニック

無垢材のインテリアがあたたかい印象の待合室。
―この地に開業された経緯は?
学生時代のヨット部の縁もあり、鎌倉で医療に携わることになりました。もともとはここからすぐ近くの別の病院に、副院長として勤務していたんです。担当は小児科・人工腎臓。それが1988年からで、ここ(鎌倉アーバンクリニック)を開設したのは2006年だから、あわせると鎌倉歴は、もう何年?長いよね?(笑)
― 小児科医としてのやりがいは?
小さいときに風邪ばかりひいて頻繁に通ってくる子も、たいていは大きくなると丈夫になって、あまり顔をみせなくなります。それからしばらくたって、今度は父親、母親となってお子さんを連れてお越しになったりする。これは小児科医として大きな喜びのひとつです。
うちは一般内科もみているので、幼稚園に通ってた子が今じゃ大きくなって「お互いにおやじになったもんだな」なんて言い合ったり、町の子供たちの成長につきあってるのは楽しいものです。
世の中にまだそれがなかったから

現役で、電子カルテのプログラミングにも携わる高橋先生。「WINE STYLE」は、Mac派ドクターのための、Mac派のかゆい所に手が届く、Mac専用電子カルテ。
― 電子カルテは、ご自身でプログラミングされたとのこと。あえて手間のかかる試みをされた理由は?
当時、まだなかったんですよ。世の中に電子カルテがない1992年から話。なので、作りました(笑)
カルテも検査オーダーも処方箋も、何でも手書きの時代です。ボールペンのインクが1週間でなくなるようなペースでしたから、これは電子化したら便利にちがいないと。大手コンピューターメーカーもまだ着手しておらず、世の中にまだそれがなかったから、自分で開発することにしました。
はじめは、当時在籍していた病院の小児科で個人的に使うことが目的でした。しばらくたってから、今度は病院のすべての外来で使うことになって、他の科でも使いやすいよう試行錯誤を重ねました。
モダンホスピタルショーでの発表をきっかけに声をかけてくださった企業さんに2002年からサポートを任せる体制となり販売もはじまって、今は250くらいの病院がその電子カルテを使っていると聞きます。

後日訪れた世田谷の医院で、このカルテシステムが利用されていました。「複数名のカルテを重ねて立ち上げても、今みている患者さんの情報をとりちがえることがない。直観的に使える」とのこと。
僕はというと、今でも医療現場で実際にこれを使いながら、多くの医療者がより各々の診療スタイルにあった使い方ができるようにとアップデートを重ねています。
ちなみにこのクリニックを医療法人プラタナスで開業することにしたのには、IT化が遅いと言われがちな業界で、いち早く電子カルテ化やカルテ情報の公開に積極的だったからというのもあります。
「わからない」という状況に不慣れな現代
― 小児科医として時代の変化を感じられることはありますか?
最近は、原因を知りたがる親御さんが増えました。これは以前と比べて相当変わってきたと感じられる点です。
なぜそんな風邪にかかったのか。いつ、どこで感染したのか。「安心のために病名を知っておきたい」ともおっしゃいます。風邪は感染症で、アデノウイルスや溶連菌など名前がつくものと何が違う、といった点にも敏感です。
お子さんを心配される気持ちの表れでしょうし、病名がつくとお子さんをしばらく保育園に預けられなくなるなどのご事情もあるようですが、それに加えて、今の時代、原因がわからないものに対し不安を強く感じやすいのではと思えます。
「わからない」という状況がわからない。原因がはっきりしない状況に不慣れで不安。でも、病名がはっきりすると保育園に連れていけないかも。それでも原因は知りたいといったループですね。
医者の立場から言えば、危険な感染症の可能性をみとめる場合は別として、検査キットをつかってデータを集めるよりも、患者であるお子さんの顔色や様子をみることが重要な場面も多いです。病名をつけることではなく、お子さんが、はやくより健康な状態に近づくことが大事なので。
僕は昭和の医者だから

医師、看護師、スタッフともにアロハシャツ。クリニックの待合室にいることを忘れそうになります。
僕が自分を「昭和の医者」と公言する理由は、このあたりにあります。基本的に子供は小さい時からたくさん風邪をひいて、集団生活しながら感染症とやりあいながら、次第に免疫力をつけて強く育っていくものと考えています。ひどい感染症は当然話が別ですが、「昭和の医者」の目線でいえば極端に神経質になりすぎるほうがよっぽど問題だと考えます。
― 高橋先生が感じられるその“問題”とは?
日本が目指す「安全・安心な社会」。これが世の中にどうもうまく伝わっていないように見えます。たとえば日本にいると「99.9%除菌」とか目にしませんか?予防接種もみんなうけて、抗菌された中で生活して、安心して安全に暮らせる。すると動物としての日本人は弱くなっていくよね。
これは僕自身にさえ言えることで、台湾に旅行にいったときに屋台においしそうな食べ物が並んでいた。たとえば生ガキを地元の方はおいしく食べておられます。でもさすがに手をだせなかった。これは気持ちの問題でもなんでもなく、どういう環境で生活しているかで、腸内細菌叢がどういうレベルかで変わってくることだからなんです。
―解決策はありますか?
今が悪いわけではないという前提で極端な話をすると、内乱や戦争がなく平和で贅沢を維持できる状況が70年以上も続いた時代はこれまでありませんでした。
不幸にもリセットされるようなことが起きて、生活環境や口にするものを選り好みできるような社会状況ではなくなり、免疫ができたり淘汰されたり、それが自然の摂理だった。そのくらいバン!と環境が変わるような事態にでもならないと、今の社会の「安全・安心」に偏った流れは変わらないかもしれません。
くり返しますが、安全であること、安心できることが悪いのではありません。ひとりの医者として、日本人が将来的に、人間として必要以上の保護を受けないと生きていけなくなっていくことに懸念を抱いているという話です。
町の小児科医が果たすべき役割

キッズスペースで遊んでいた鎌倉っ子。今日は予防注射にきたのだそう(ご本人とお母さま談)。
― 高橋先生が考える、小児科医として果すべき役割は?
僕の考える町の小児科医の仕事は、"見極めること”と“安心を与えること”です。見極めに関しては、小児科医としてとくに大切な役割ですね。そのためには患者さんの表情をつかむこと。診察室にはいってきた瞬間からみています。検査の値だけではなく患者さんの顔をみて、医者として正しく症状を見極めたら、安心を与えたい。
風邪をひいた子のお母さんが心配がるのは当たり前ですから「クーラーはつけても大丈夫ですか?つけない方がいいですか?」と聞いてきたら「お子さんが心地良いようにしてあげるのがいいよ。産まれたばかりの赤ん坊が入院している病室だってエアコンははいってるんだから」とかね。
不安を抱える親御さんに対し、大丈夫なことは「大丈夫だよ」と言葉にしてさし上げるのも仕事です。患者であるお子さんにしたら、不安がっていた親御さんが落ち着きを取りもどすことが何よりの薬ですから。
(終わり)
お話ししてくださった方:高橋究先生

高橋究|Kiwamu TAKAHASHI
鎌倉アーバンクリニック院長。小児科医。学生時代にヨット部に所属し、プライベートでは今もなお湘南の海に親しむ。院内の壁には、高橋医師自らがシャッターをきった写真が飾られている。