近年、家庭医療、プライマリ・ケアに注目が集まる中、都市部ならではの「家庭医療」に取組むクリニックがあります。2000年、世田谷区・用賀の地に開設された用賀アーバンクリニック。

「ぼくはホントは外来診療向きじゃない」と笑う野間口聡医師(現:医療法人社団プラタナス理事長)と、現在、同院の院長をつとめる田中勝巳医師に話を伺いました。

開院以来16年。
地域のファミリードクターとして患者様に寄り添い続ける確かな自信が、そこにはありました。

最適な医療をうけるためのゲートキーパーに

― なぜ家庭医の道へ?

野間口聡医師(以下、野間口):
僕は脳外科の病棟医からスタートして、縁あって用賀の地に開業しました。

もともとは救急や、内科的なこと、外科的なこと両方できるところと思って、婦人科の道を考えたりもしたんですが、やっぱり手術がしたくて脳外科医の道を選びました。人との縁もあってね。

医学博士もとって、このまま専門医としてキャリアを積んでいくのかなと思っていたんですが、医局にずっといて、何となくこの先の面白い世界が想像できなかった。そんな閉塞感を感じて医局を飛び出し、いわゆるフリーランスの医師となったのが36才の時。企業勤めのサラリーマンでいえば、ちょうど脱サラするようなものです。今思えば、面白いことが好きな性分なんでしょうね。

親には10年世間を見せてくれと言って、生まれ育った鹿児島を出ました。でもいまだに帰れてません。(笑) 

ー 東京に来られたきっかけは?

野間口:
医学部時代の同級生に面白いのがいて、その友人の紹介で都内の老年医療で有名な病院に幹部候補として入職しました。ご高齢の方のケアが中心だったので、当時まだ若かったこともあり、脳外科医として最前線で命を張っていた世界とのギャップに、正直、戸惑いもありました。

日々脳梗塞などで運ばれてくる高齢の患者さまをみるうちに、こうなる前にできることはなかったのか、血圧のコントロールはできなかったのか、薬は変えなかったのか。そんなモヤモヤした思いがありました。

画像: 野間口聡 | Satoshi NOMAGUCHI 用賀アーバンクリニック理事長。医学博士、脳神経外科専門医。鹿児島大学卒業後、1997年に医局を離れるまで、脳外科医としてキャリアを積む。2000年より、用賀アーバンクリニック設立に携わる。

野間口聡 | Satoshi NOMAGUCHI
用賀アーバンクリニック理事長。医学博士、脳神経外科専門医。鹿児島大学卒業後、1997年に医局を離れるまで、脳外科医としてキャリアを積む。2000年より、用賀アーバンクリニック設立に携わる。

ー なるほど。それでそうなる前に食い止めようと。

野間口:
そうですね。ただ、今となっては、開業医の先生方のご苦労がわかる部分もあるんです。良かれと思って血圧を下げても、めまいがすると言われたり、勝手に薬を飲むのをやめてしまう方もいる。医療者の思いや治療方針と患者さまの納得感に隔たりがあることはままありますから。

もともと、僕は医療はサービス業だと考えていて、医療者と患者さまとのあいだの垣根を少しでも下げたいと思っていました。まぁこんな時代ですから、色々な方がいて、あまり下げ過ぎるのも問題なのかもしれないですけどね。

ー 用賀アーバンクリニック設立のきっかけは?

野間口:
さっきの「面白い同級生」かな。彼はずっと「いつか一緒に仕事をしよう」と言ってくれていて。彼からつながる縁で、医療を知らない人達と一緒になって「自分たちが受けたい医療は?」といろいろブレストしてたら、新しいクリニックのコンセプトができちゃった。

ー そのひとつが「家庭医」ですね?

野間口:
そう。プライマリ・ケアの現場には、患者さまが迷うことなく高度医療を受けられるよう道筋を作るゲートキーパーのような医師が必要なのではないかと思った。

それで用賀アーバンクリニックのコンセプトは家庭医(ファミリードクター)になりました。

ー 田中先生は内科のご出身ですよね?

田中勝巳医師(以下、田中):
私は用賀アーバンクリニックの開業からちょうど3年目に入職しました。

出身が自治医大ということもあって、赤ひげ先生に憧れていたんです。
大学病院で研究したり、最先端の医療を提供するより、患者さまに近いところで働ける医師になりたかったんですね。

大学病院や地域の中核病院、救急救命センター、僻地診療所と経験を積む中で、進路については色々迷いました。田舎の医療を極めるのか、医局に戻って専門医の道を進むのか、それとも、もう一段深くプライマリ・ケアを学ぶのか。

5年間の僻地勤務を経て、やっぱり自分には患者さまにより近いところで、地域に根差して患者さんを診療できるプライマリ・ケアが天職だと思いました。結局、初志貫徹、その道を生涯志していこうと。

ー 用賀アーバンクリニックとの出会いは?

田中:
ちょうど義務年限が終わるころ、メディアで、当時まだ珍しかった電子カルテやカルテ開示などを行う先駆け的な医療機関として、用賀アーバンクリニックを知りました。自分がやりたかった医療がここにあると思った。

志をひとつにできるような先生方と、同じ方向をみてクリニック作りをしていけると実感できたことはとても大きかったですね。

都市型の家庭医療を学ぶ

ー そこから、家庭医を志されたわけですね。

田中:
はい。ただ、用賀アーバンクリニックは家庭医療を学ぶ研修施設ではありません。当時、北海道のプライマリ・ケアで高名な先生と一緒に、家庭医の育成プログラム作りをするという話もあったんですが、残念ながらその話はなくなってしまって。

でも「グループ診療」という強みから、多くのことを学べると思いました。
グループ診療では、複数の医師がいることによって、知識や提供できる医療サービスが2倍にも3倍にもなります。医師の側としても、他の先生の診療スタイルや、専門分野、得意分野などを吸収できるメリットがあるわけです。

画像: 田中勝巳 | Katsumi TANAKA 用賀アーバンクリニック院長。総合内科専門医、循環器専門医、介護支援専門員。僻地診療所に5年間勤務後、「家庭医」を目指し用賀アーバンクリニックに参画。小さな赤ちゃんからお年寄りまで「家庭医」の機能を担う。

田中勝巳 | Katsumi TANAKA
用賀アーバンクリニック院長。総合内科専門医、循環器専門医、介護支援専門員。僻地診療所に5年間勤務後、「家庭医」を目指し用賀アーバンクリニックに参画。小さな赤ちゃんからお年寄りまで「家庭医」の機能を担う。

― なるほど。ほかにも用賀アーバンクリニックを選択された理由はありますか?

田中:
世田谷は多くの医療資源に恵まれているエリアです。なんでも一人の医師がやらなければならない僻地医療と違い、都市部ではバックホスピタルがきちんとあって、患者さまにスムーズに高度医療を提供するために、医療機関同士の連携が重要です。

これは都市型の家庭医療の特徴だと思うんですね。用賀アーバンクリニックでならそれも学べると。

ー 専門医から家庭医を目指すうえで大切なことは?

野間口:
どの診療科においても、内科はやはり基本です。内科も、外科も、内科を診るのは共通で、外科医が内科を診る場合、そこにサージカルプロシージャ―(外科的アプローチ)が加わると考えればいい。プラスαで手を加えるのが外科、深掘りしていくのが内科。僕はそう思ってます。

内科の先生には、外科系の手の出し方を知っていて欲しいし、逆に内科系の先生方は、こんな風に深掘りされている、ということを知っておいて欲しいんじゃないかと思う。

今の若い先生方のほとんどは、良い研修プログラムを受けて、良い先生にあたって、幸せな育ち方をされています。
だから、いざ自分がシニアの立場になったときに、どのような見解でまた次の世代に伝えていくことができるか、を日々考えながら、研鑽を積まれるとよいんじゃないかと思いますね。

田中:
野間口先生も私も従来型の家庭医です。今の若い先生方が医大で受けるようなプライマリーの専門プログラムを受けて今に至るわけではありません。そこは、すでに開業している多くの良質の先生方がそうであるように、日々研鑽を積み重ね、埋めてきたつもりです。

患者さまからしたら、自分を診てくれる医者には最高の知識を持っていて欲しいわけで、専門だろうが、専門外だろうが、関係ないんですよね。

野間口:
いざ開業してみると、まず求められるものは大体決まってきます。
風邪が診れて、皮膚の軽いのと小児が診れるようになると、それだけでもう全然幅が違ってきます。

僕は脳外科の出だから、内科的なアプローチは常に研鑽という意識が強くあります。
最初に家庭医になりたいと思ったときに、亀田信介先生(現:医療法人鉄蕉会 亀田総合病院院長)を通じて、鴨川の亀田総合病院でみっちり勉強させてもらいました。小児科や皮膚科を中心に、各科を回らせてもらって。今でいうスーパーローテーションだよね。楽しかった。

用賀アーバンクリニック開院のときも、亀田総合病院からはスタッフをヘルプしてもらったりと、
本当に信介先生には足を向けて眠れないですよ。(笑)

ー インタビューを通して、人との接点を大切にされていたり、アンテナの感度が高い印象を受けます。

野間口:
うーん。そうかもしれないね。面白いことが好きだし、やりたいこともたくさんある。今は、設計図みながらトンカントンカン、オーディオを手作りして悦に入りたい。
仕事じゃないけどね。(笑)

次回「大切なのは『Continuity』。ー家庭医の資質を考えるー」につづきます。

取材・文:村上珠恵
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